樽と壷


漬け物部屋の樽が気になり、一個持ち出してホコリを払って洗ってみた。
細口の壷も同じ場所に有ったもので、花瓶にちょうどいいからと洗ってみると中に古い醤油らしきものが入っていた。が、もったいないような気にもなったが捨ててしまった。このつぼにはよく椿を生ける。

ホコリまでもじっとりと湿気を含んだ部屋の中で樽はいい色を保っていた。洗うのが惜しいほどのホコリの層。ちりも積もれば山となって、ホコリにまで歴史の重さを感じる。水をかけて桶の肌を洗うと、ふやけた木の肌が少し剥けた。木目の下の層の赤い部分が表に出る。このアクの強い部分が、木を守っているんだろうか、、、竹はふやけることも無く飴色に変わってさらにいい艶を出している。

多分この桶も醤油を入れていたんでしょう。樽のそこには白い結晶が噴き出してた。おそるおそるなめて見たら、塩だった。醤油を作らなくなって何年経つだろう。少なくとも40年は前の塩。そう、あたしは、40年前の塩をなめたんだわ。もしかしたら、50年、いや100年前のものかもしれない。

飴色になった樽はどこから眺めても美しい。人の手では決して作れない、長い「時」と「事」だけが作り出せる色なんだ。
(艸soh 2005年06月23日の記事より)

山陰地方の糸車


2003年7月にやってきた糸車は、これもまた古い織り機のおまけでついてきた。何年も動かすものも無く、ほこりをかぶり艶もなかった。9月になり、私は織りの講習会で糸車の使い方を学んできた。早速、汚れをきれいに拭き取り、蜜蝋入りのワックスでつやを出してピカピカにする。紡錘の押さえは竹の皮で作っていたが、私には竹の皮を繋いで綯うことが難しく、シュロ縄で代用する。車を回すヒモを「はやお」と言うのだが、はやおは、木綿糸をたくさん束ねて、かたよりにしてゴムのようにしたものを、車と紡錘の駒にまわして取り付ける。凧糸で代用しても、はやおの様に弾みがつかないらしい。糸車と紡錘の部分に続く

本当のところ、京都の機やさんへは、この紡錘の取り付けと、車とコマをつなぐ紐の「はやお」を取り替えては頂けない物かと思い行ったのだが、残念ながらこの部分だけは自分でするしかない物のようで、いい加減に取り付けたひもも全部取り外した物だからもう一度自分できっちり調整せねばならない。構造の不具合だけはくさびを取り替えていただきぶれも無くなったので、あと紡錘の調整さへうまく行けば完璧だ。

京都から帰って早速シュロ縄(竹の皮が良いそうなのだが、これは「なう」ことが出来なくて断念)を用意して、こんどはぶれが起こらないようにと、いろいろ工夫しながら形作る。糸車によってひもを通す穴の位置が違うので、紡錘が一番いい位置に来るようにそれぞれで止め方を変えたりしながらなんとか形にして行った。出来た紡錘を早速回すとぶんぶんと今まで聞いた事がないほどいい音を出してしかも安定した回転に、カブラ玉も固くかっちりとまく事が出来た。こんなうれしい事は無い、自分で出来たのだ。これで、どんな糸車が手に入っても自分で調整が出来る。大きく見る

「はやお」の方はこれで良いと言ってくださったので安心して、新たに手に入れた方の糸車のはやおを作る。30番手の手縫い糸、車とコマをつなぐ円周+20cm を35往復(教わったのは20番手で25往復)これを片撚りにして、一方はタマ止め。一方はわっかの中にタマ止めをはめ込み車に固定する。「はやお」をわざわざ手作りする訳は、微妙な柔らかい伸縮が得られるからだ。凧糸では伸びが無いし、ゴムでは伸縮が強すぎるのだろう。こういうことってとても大事。改めて伝承館で教わった事の重要さを思う。
(日々の事 2004年03月28日の記事より)

幸田文 全輯 5卷


幸田文 全輯 5卷 流れる 新潮文庫版 を買つたつもりが。中央公論社の5卷が屆き、さざなみの日記他 だつた。中央公論社は6卷が流れるだつたやうだ。

つや消しの紺の箱に、朽ち葉色と、白茶か利休白茶の格子が美しい。手に取ればやさしい柔らかい布の感觸。思はぬ裝丁に大滿足で、なかなか讀めないのに持ち歩いてゐる。これは一昨年の「葛布帖」と同じくらいうれしかつた。

昭和34年に出された、私が生まれる前のものだ。舊假名遣ひつて、やはらかひ。

(舊假名遣ひ變換支援で変換済み。)